自分がなぜ生まれてきたのかを考える。
きっとそこにはいくつかの側面による考え方がある。
事象としては、父親と母親の生殖活動の結果であり、
背景としては、両親や親戚、誰かが望んだから生まれてきたのだろう(違うかもしれないけれど)。
私は自分が生まれてきた意味はそれ以上でもそれ以下でもないと思っていて、
こうした『事実』以上に自分が生まれてきた意味について考えることは、
時間上も精神上もあまり良くないことだと思っている。
かといって宗教を否定するわけではない。
きっと世の中に警察もなければコミュニティもなければ、
何の秩序もなかった時代、宗教は人々をまとめる役割をしていたのだと思うし、
「故きを温ねて新しきを知る」。
きっと学びも多いことと思う(山上の垂訓とかはとても人生の学びになる)。
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